日本近現代史 その4 戦後の日本

そもそも、日本とアメリカは、戦うべきだったのでしょうか。

ソ連の誕生で共産主義が膨張する中、日本がそれの対抗措置として軍備を増強するのは必然の

ところが、その日本を、ルーズベルトが圧迫外交で窮地に追い込ませ、

結果、日本軍を爆発させてしまったのではないか、という見方があります。

日米の激突によって、日本は国力を激減させてしまいました。

ソ連はその頃合いを見計らって、千島列島などに侵攻し、北東アジアにおける日本の権益を奪いました。




終戦後、日本はポツダム宣言を受け入れ、新憲法が敷かれました。

降伏の条件として、民主主義の推進、基本的人権の尊重、武装解除などが掲げられていました。

1951年、サンフランシスコ講和会議において、講和条約を締結しました。

サンフランシスコ講和条約の中身は、日本と連合国との戦争状態の終結、日本の主権回復、領土の確定、連合国による賠償請求権の放棄などでした。

このサンフランシスコ講和条約ですが、ソ連は調印を拒否し、インド、ビルマ(現ミャンマー)は会議に参加せず、中国と中華民国は米英と意見が合わず招聘すらされませんでした。

その後日本は、中華民国とインドとは、1952年に個別に平和条約を締結し、

中国とも1978年に、日中平和友好条約を締結しました。

しかし、ロシアとの間には、未だに平和条約は存在していません。

執筆者:山本和華子

参考文献 斉藤孝著『齋藤孝の 一気読み! 日本近現代史』東京堂出版

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