はいみなさんこんにちは。今日は、秋元雄史著『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』を要約していきたいと思います。
ルネサンス
14世紀、イタリア中部の商業部、フィレンツェでは、ギルド(同業者組合)や銀行業で富を成したメディチ家といった面々が台頭しました。
当時のイタリア人たちが理想としたのが、人間を生き生きと描いていた古代ギリシャやローマの芸術でした。
●ラファエロ・サンティ『アテナイの学堂』
この壁画は漆喰に色をのせて描く「フレスコ画」の手法で描かれたものです。
この壁画はまるで舞台上の群像劇を見ているようです。そう感じさせる最大の理由が、立体的な背景を描くために使われている一点透視図法という技術です。
一点透視図法とは、一つの消失点に向かってすべてが収束していくような構図のことで、ルネサンス時代に発明されました。
この壁画に描かれている人物たちは、古代ギリシャ時代からルネサンスにいたるまでの哲学者や科学者たちといった知識人です。
総勢58人が描かれたこの壁画の舞台は、古代ギリシャの都市国家であるアテネです。
これをラファエロに依頼したのは、当時の教皇ユリウス2世です。教皇ユリウス2世は古代ローマの英雄ユリウス・カエサルを理想として古代の美術品を収集し、多くの美術家を援助してヴァチカン宮殿を豪華に飾り立てたことでも知られています。
●レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』
この作品は、「空気遠近法」という表現方法を用いています。
たとえば、遠くにあるものは輪郭線が不明瞭になり、そのもの自体はかすんで見えます。
空気遠近法はその見え方を応用したもので、遠景にあるものほど形態をぼかして描いたり、色彩をより大気の色に近づけたりしながら、空気の奥行きを表現しています。
●ミケランジェロ・ブオナローティ『最後の晩餐』
この作品は、ヴァチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に、フレスコ画で描かれました。
総勢40人以上が描かれたこの作品は、新約聖書の「マタイによる福音書」をもとに、世界の終末にすべての人類と死者が、再臨したキリストの裁きを受ける場面を描いたものです。
中央で右手をかかげたキリストを中心に、昇天する人と地獄に落ちる人が時計回りで回転しているかのような躍動感ある構図は、ドラマティックな演出に長けたミケランジェロの真骨頂です。
ミケランジェロはこの作品で、中世時代の抑圧的なキリスト教の禁欲主義を脱し、人間のありのままの姿を表現しようとしました。
バロック
16世紀になると、ルターの宗教改革によって、プロテスタントが誕生しました。
オランダでは、独自の芸術が花開きました。当時ヨーロッパ最大の貿易都市となったオランダでは、富を持った裕福な市民階級の邸宅の壁を飾る肖像画や風景画、一般市民の日常を描いた風景画が描かれるようになりました。
この時代、バロック期のオランダで流行した風景がや風俗画は、結果的に後の写実主義や印象派につながっていきます。
●ヨハネス・フェルメール『牛乳を注ぐ女』
この作品は、17世紀のオランダのありふれた日常の一場面を描いたとされる風景画です。
この作品を描くときにフェルメールは、カメラ・オブスキュラと呼ばれる光学機器を使って絵を描いたとされています。
カメラ・オブスキュラとは、ピンホール現象を利用したカメラの原型のようなものです。このカメラ・オブスキュラを使うと、遠近感を正確に表現できるため、実際の光景をキャンバスに転写することができました。
また、籠やパン、ミルクの入った陶器が光を受けて輝いているように見えます。この表現は「ポワンティエ」という技法で表現しています。ポワンティエとは、コントラストの弱い部分に、白や明るい色といったコントラストの強い点をのせることで、光の反射を印象付ける技法のことです。
フェルメールは、ポワンティエの技法をさまざまな作品に多用しています。
当時17世紀のオランダは、世界初の株式会社であるオランダ東インド会社の設立で知られるように、東南アジアの交易を独占していました。長崎の出島を通じて、日本とも貿易をしていました。
フェルメールの作品の青色は、ウルトラマリンで色付けられています。黄金に匹敵する、ラピスラズリから作られた顔料(ウルトラマリン)をふんだんに使用していることからも、当時のオランダの豊かさがうかがえます。
印象派
1874年にパリで開催された展覧会に、モネが出品した「印章・日の出」に対し、批評家のルイ・ルロワが「単なる印象でしかない」と揶揄する記事を新聞に載せたことから、印象派というジャンルがうまれました。
モネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、ドガといった印象派の画家に共通するのは、目に飛び込んでくる一瞬の印象をキャンバスに表現しようとしたことです。
●ポール・セザンヌ『サント・ヴィクトワール山』
サント・ヴィクトワール山は、フランス南部にある山です。
セザンヌにとってサント・ヴィクトワール山は、四季折々に異なる表現を見せる格好のモチーフでした。
この山をモチーフにしてセザンヌは、あらゆる表現方法を試しながら、独自の芸術表現を築き上げていきました。
この作品では、色彩で光を表現しながら、同時に色彩で形、とくに抽象的な形を作り出しているところに特徴があります。
もっと詳しく知りたい方は、ぜひ本書を手に取って読むことをオススメします。
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