『古今和歌集』の序文によって、紀貫之は日本人の美意識を告げました。
「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」
日本の和歌は、人の心を種として生まれて、それがさまざまな言葉になっている。
『古今和歌集』は、最初の勅撰和歌集です。
勅撰というのは、天皇の命令でつくった歌集のことです。
漢文以外に、「やまとうた」という伝統が日本にあるんだということを意識して、
国の事業として和歌集を編んだ、いわば日本の美学の宣言書なのです。
ヨーロッパの歌集は基本的に作者別に書かれていますが、
「古今和歌集」は季節ごとに分類されています。
つまり、日本においては自然が非常に大きな意味を持つのです。
藤原定家の和歌
「駒とめて袖うちはらふ陰もなし佐野のわたりの雪の夕暮」
関東で渡しがあったところを歌っています。
この歌は、「誰もいない」ということを表現しています。
誰もいない雪の夕暮れの寂しいことを表しています。
日本美術の特色の一つに、装飾に対して強い愛着があることが挙げられます。
装飾といいますと、例えば画の背景を金地で覆う手法などです。
金地で覆う理由として、
①鑑賞者が画面の奥行きに入っていくことを禁ずる
②不要なものを覆い隠して、主要なモチーフを際立たせる
が挙げられます。
19世紀、ジャポニズムに熱狂した西欧の人々は、構図の思いがけなさ、形態の巧妙さ、色彩の豊かさ、絵画的効果の独創性、そしてさらに、そのような成果を得るために用いられている絵画的手段の単純さを、日本の美術に発見したそうです。
また、不完全性すなわち平面性、肉付けの欠如、陰影を欠いた色彩も、熱狂の理由ともなりました。
日本には、襲名の文化があります。特に歌舞伎の世界では襲名披露興行は、大きく話題となります。
襲名披露興行では大勢の役者がずらりと並び、仲間の一人が名前を変えたという挨拶をします。
西欧社会では、人気役者が親しんできた名前を捨てて別の名前を名乗るなどということはありません。
しかし日本は違います。「海老蔵」や「団十郎」という名前は、個人を超えた権威ないしは重みを持っています。
その重みを支えているのは、それまでこの名前を追ってきた個々の役者の努力の積み重ねの成果であり、それをめぐる人々の思い出や評判なのです。
日本においては、絵と文学(歌)と書(文字)を一体として、一つの美的世界を創り上げてきました。
そもそも漢字というものは、その成立の事情から象形性が強く、よって絵画の世界に馴染みやすいのです。
本書ではこのほかに、竹内栖鳳の芸術哲学、マンガに見る日本文化、西洋絵画の視点と日本絵画の視点の差異など、深く興味深い話題に富んでいます。
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